いけてるとき
先日、近くの市場で、身内の友人にお会いしました。直接の知人でも有るのですが、私個人は、そんなに親しい方では無かったので、こちらから声はおかけしませんでしたので、相手の方はこちらに気付かずすれ違いました。
特に挨拶することがおっくうなわけではありません。私には、「いけてるとき」と「いけてないとき」があるのです。どういうきっかけでそれが切り替わるのか自分でもよく判っていませんので使い分け出来ないのですが、二つのモードがあるのです。
躁鬱(そううつ)というほど、激しい変化では無いので、自分では「いけてる」「いけてない」で片づけていますが・・・。
で、冒頭のご挨拶に戻りますが、きっと「いけてる」ときの私であれば近くに寄って、こちらから声をおかけしたと思います。しかし、たまたま「いけてない」私だったので、声をかけることが出来ませんでした。すみません。
でも、許して下さい。なんせ「いけてない」私は、ファミレスで「コーヒーのおかわり」すら頼めないほど弱々しいのですから。